燃ゆる桐

まさか最終回まで生き残るとは思わなかった。

お久しぶりです、鴨の羽です。
「どうする家康」、結局最終回まで追いました。

先に全体の感想を。

最後がなんか軽かったのが残念ですが、面白さあり、シリアスあり、人は沢山死ぬ。いかにも王道大河ドラマ(戦国編)だったのではと思います。
以上。

ここからが本編です。


豊臣秀頼、いい男ですね。

史上は大坂夏の陣にて亡くなったとされる秀頼(遺体は見つかっておらず、生き延びたという説もありますが)。この話ではどう描くのか、と気になった場面でした。

いや腹切ってるんだが。
首落とされてるんだが。

ここまで明確に秀頼の死亡シーンを描いた作品、今までどのくらいあったでしょうか。というより、秀頼にここまで光を当てた作品も多くないと思います。
まあ秀頼、というより茶々の死を明確に描写する為だとは思いますが。

北川景子さん、えげつない演技しますよね。返り血を浴びながら世を謳い、妖艶に笑い、一言。
「茶々は、ようやりました」
恍惚としたとも言える表情のまま、自らの首に刃を当て、引いた茶々。ここで鈴の音が響くのがすごく良かった。後述する秀頼とも、もう一人の天下人の妻、瀬名とも、北川さんが演じたもう一役、お市ともうまく対比している、美しいシーンだったと思います。一人火の中で崩れ落ちていったあの姿は、茶々が憧れ続けた彼女の伯父にも姿が重なりました。


秀頼に話を戻します。

少し私情が入りますが、私は秀頼があと5年、いや3年早く生まれていたら豊臣の天下が続いていたのでは、と本気で考えています。夭逝した第一子、捨が生き延び、秀頼のような人間であったら、と考えたこともあります。あの聡明さ、力強さ、若さでもって徳川を倒す事は、不可能とは言えないのではないでしょうか?
ただ、実際に秀頼が生まれ、権力を握れる年齢になった頃には、豊臣に力はほとんど残っておらず、徳川からはわずかな力すら疎まれ、滅ぼされることとなりました。

「乱世の夢を」と言いながらも、自身の死が見えていただろう秀頼。散るなら花々しく、という思考は、父母や大伯父から受け継いだ、戦国の集大成と言える遺伝子が成したものだったのかもしれません。

そして自身の城に火の手が回り、自ら死ぬ、となった際に言う一言が、とても素晴らしい。

「我が首を持って、生きてくだされ」

腹を切り(最早割ってる)、血を吐きながら倒れても、願うのは母の幸せだった秀頼。この後恐らく後を追って来てしまうだろう母に、それでも生きてほしいと願うその姿は、やはり乱世が終わった後の世に見たかったと切に思います。
覚悟を決める時の息遣いが、腹の肉に刃を突き立てるその表情が、自らを切るその姿が、斬られる刃の音が、命の火が消える様を、茶々の最期へと繋がる素晴らしいシーンだったと思います。ここまで作間龍斗という俳優が演じてくるとは、思ってもいませんでした。実を言いますと、豊臣秀頼という人間を、作間龍斗という人間が演じていたとあまり思えていません。秀頼が憑依していたのでは?と言いたくなるほどの凄みがありました。

戦を知らずに育ち、戦の中で死んだ秀頼ですが、戦国の中で多くを失った茶々のことを、尊敬し、愛していたのだと思います。
落城前に妻千姫を投降させたのも、秀頼の優しさ、愛だったのでしょう。

多くの者に慕われ、夢を与えることが出来、力を与えることも出来る。
千姫が秀頼について表した言葉をまとめたものです。
秀頼の素晴らしさを表現したこの言葉こそが、死なねばならない理由となっている。なんと無情なことでしょう。

世に必要な存在であった、それ故死なねばならなかった秀頼、そして茶々。
見事な最期だったと思います。

その生き様に最大の敬意を表して。